第68回高等学校の部 優秀作品

「戦わない選択肢」
 香川県立丸亀高等学校 2年 吉久萌花

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 戦争は起こってはならないもの、それは過去の記録、例えば戦争で命を落とした兵士や市民、戦争の裏で起こる戦争犯罪など、それらを知識として知った上で漠然と思っていたことだった。しかし、本書を読みすすめる中で、自分とほとんど年の変わらない少女セラフィマが見た戦争の世界を浴びて、擬似ではあるが戦争を体験し、その本当のむごたらしさを思い知ることとなった。

 例えば、セラフィマたちが初めて戦場に赴くシーン。戦火が飛び交うその直前まで、その地には平穏さえ漂っていた。しかし、独ソの勢力がぶつかった瞬間、その空気は決壊する。頭のすぐ近くを銃弾が通り過ぎ、先程まで人間であったものが瞬きの間にただの肉塊に姿を変える。私は思わず息をつまらせながらページをめくった。一秒、また一秒と時間が経過する度にソ連兵の、そしてドイツ兵の命が散る。戦場において命はこんなにも簡単に消えさってしまうものなのかと思った時、初めて戦争の恐怖というものを身をもって感じた。私は、その死者が二千七百万という膨大すぎる数字であるがゆえに、独ソ戦を歴史としてしか捉えられていなかった。しかし、セラフィマの目線で戦争を体験することで、結果ではなくこの戦争の過程でどのようなことが起こっていたのか、それを知ることができたのだ。

 では、人を殺すことを知らず、幸せな日常を知っていた少女たちがなぜ、戦地で銃の引き金を引くことができたのか。それは、過酷な訓練が比にならない程の強烈な復讐(ふくしゅう)心や、真っすぐな信念が彼女らを突き動かしたからだ。少女たちの、一つの目的に向かって自分たちの未来を自分たちの手で切り拓(ひら)いていく姿は、気高く、輝かしかった。だが、その手段が戦場でドイツ兵たちを射殺することだというのは、あまりに悲しかった。人を好きになったり、片づけが苦手だったり、少女らしい一面を当たり前に持つ彼女らには重すぎる使命だった。だからこそ、セラフィマが戦争に呑(の)まれ、スコアに縛られそうになった時、本当に胸が苦しくなった。〝戦争は人を変える〟。母の仇(かたき)を討つという明確な意志と、全ての女性を救うという確かな信念を持っていたセラフィマでさえも、戦争の酷薄な空気の中で自分を見失いかけたことで、それを思い知った。人を殺しても罪に問われないどころか、殺せば殺すほどその成績を賛(たた)えられ、英雄とさえ言われる異常さが恐ろしかった。

 そして、恐ろしく感じたのはセラフィマの認識を曲げた戦績の存在だけではない。男女の性暴力に対する認識の違いもそうだ。作中、あるソ連兵は自らが犯したドイツ人女性の数を声高らかに誇り、またあるソ連兵は女を犯すことが同志的結束を強固にするのだと言う。加担しないのであれば、仲間に爪弾(つまはじ)きにされるのだとも言う。私は、女性が犯されるのが〝仕方のないこと〟として処理されているのが、心底気持ち悪かった。そして、この気持ち悪さは、本書のタイトル、「同志少女よ、敵を撃て」この〝敵〟とは何を指すのか、その答えに結びつくものだ。当然、この〝敵〟は、単にセラフィマたちソ連兵にとっての敵であるドイツ兵たちを指すのではない。全ての女性を救うという信念を抱いて戦うセラフィマにとって、女性を軽んじ傷つけるものに、ソ連兵もドイツ兵も関係ないのだ。セラフィマは彼女にとって最後の戦場で、彼女に女性を軽んじないと誓った幼なじみミハイルを撃つ。彼もまた、この戦争の野卑な空気にあてられて、ドイツ人女性を犯すソ連兵、またはロシア人女性を犯すドイツ兵と同様の過ちを犯したのだ。

 私が思うに、本書における〝敵〟とは、戦争が持つ〝悪意〟だ。揺るぎない信念を持っていたはずのセラフィマの認識をねじ曲げる程の悪。心優しきミハイルをも低俗に変えてしまう程の悪。この二人に限らず、戦争に参加したほとんど全ての人間がこの〝悪意〟にさらされて、自分を見失ったことだろう。戦争に参加する以前の彼ら彼女らとは、まったく懸け離れた自分に上書きされていることに気付けない。戦争がなぜ起こってはならないのか、その答えが見えてきた気がする。

 現在、ロシア・ウクライナ間で、戦争の悲劇が繰り返されている。その死者は、詳しくは明らかになっていないが、途方のない数字であることは間違いないだろう。本書において、看護師ターニャは、〝治療するという意志が自らにある限り、そこに敵味方の区別はない〟と口にする。彼女は初めから、敵と味方が存在しない世界にいたのだ。「もし本当に、本当の本当にみんながあたしみたいな考え方だったらさ、戦争は起きなかったんだ。」彼女の言葉にはっとした。戦争のリアルを知った今、殺す、戦う、そんな選択肢の無意味さに一秒でも早く一人でも多くの人が気付き、これ以上彼ら彼女らの戦争で命が散ることのないように祈る。

 

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●読んだ本「同志少女よ、敵を撃て」(早川書房)
 逢坂冬馬・著

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