第67回高等学校の部 最優秀作品

「流れる水のように」
 長野県松本深志高等学校 1年 河西俊太朗

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 川を流れ行く水のように、僕はこの本を一気に読み終えようとしていた。清澄が姉の水青のウエディングドレスの刺繍を完成させる最後の場面で、ドアのチャイムが鳴る。

 そこにやってきたのは一体誰だったのだろう。僕は想像する。紺野さんならきっと、そのドレスを身にまとった水青の美しい姿を見るために息を切らして駆けつけてきただろう。完成を楽しみに待つ黒田さんだったら、「いい刺繍はできたか」と、ためらう全を引きずるようにやってきたかもしれない。初めての一人旅を堪能した文枝であれば、ドレスを気にかけながらも、たくさんのお土産を抱えて旅の話をし始めるに違いない。皆がこのドレスの完成を待ち焦がれていた。

 でもこの後、清澄はこう言っている。「誰が来たとしても、ドアを開けるのは僕だ。」この言葉は眩しい光の矢のように僕の胸に突き刺さった。どんなことがあろうと、これからの未来は自分の足で歩いていこうという決意だからだ。自分の心に正直に生きていこうとする新しい一歩を踏み出した。刺繍が好きで中学時代には友達もなく、母や祖母に心配されて高校に入った。一時は無理をして周りに溶けこもうとしていたが、やっぱり自分の好きを貫く決心こそが、この言葉につながったのだろう。

 この本を読みながら考えることは、「普通」や「らしさ」だ。これまで男「らしい」服を着て、振る舞いをして、「普通」に勉強もしてきた僕であって、特段無理をしてきた覚えもそれほどない。しかし時折、周りの「普通は、さあ」という言葉に少し引っ掛かりを感じたこともある。僕はこの三月まで受験生であったが、「受験生らしく」頑張れと言われることには、一体どんな基準でそんなことを言うのかと腹立たしく思ったこともあると、正直に白状しよう。

 一方で、「自分らしさ」という憧れのような気持ちで持っていた考え方にも、少し修正が加えられた。これまで僕は揺るぎない芯のような「自分らしさ」を見つけて貫くことは、とても格好いいことのように思い込んでいた。

 しかし、ここに登場する人物たちは時に急激に、またゆるやかに自分を変えていった。文枝はマキちゃんとの偶然の出会いから、今まで封をしてきた自分の理想を実現しようとする。それまでは時代や親や配偶者の圧力で、自分の心のままにあることができなかった。水青の「かわいいものは無理」というような頑ななあり方も、過去の心の傷と向き合うことから、ゆっくりとウエディングドレスへと流れ着くことができた。

 考えてみると、揺るぎない「自分らしさ」など本当はないのかもしれない。僕は二年ほど前、アメリカを訪れた。ほんの少しでも外国に行ったら、世界のことも自分のこともこれまでと違う見方ができると大いに期待していた。けれども、街を行きかう大勢の人々に圧倒されるばかりで、かえって自分が小さな存在だと思い知らされるだけであった。胸を張ってこれが自分だなどと言うことはとてもできない。

 だから、その時々の姿こそが全て自分だと考える。水のように、環境や状況によってしなやかに形も変わるし、水蒸気や氷にも変化する。

 肝心なのは、前へと流れていこうとすることに違いない。僕自身も、外国で必死にコミュニケーションを取ろうとした経験は、自信となって、何でも挑戦していこうとする原動力になっている。文枝も水青も、思い出したくない過去の自分の姿や出来事があっても、それに縛られることなく、次のステージへ滑らかに進んでいる。清澄も自分の心に素直に向き合い、前を向いている。その時の自分こそがまぎれもない真実の自分であるから、今を大切に生きることが本当に大事なことだと思う。自分「らしさ」は水のように変幻自在であろう。

 であるからこそ、「普通」であること、「らしく」あることを自分自身にも他者にも強く求めるのは間違っている。枠にはめ込もうとすることも、一部分だけを見て評価したり全否定したりすることはもうしない。

 今は、世界中がコロナ禍という暗くて長いトンネルの中にあるが、誰もが自分の心に素直に向き合うことを忘れなければ、水のように姿かたちを自在に変えながら、きっと大きな海まで流れ着くことができるとこの本に教えてもらった。「流れる水は淀まない。」は全の言葉だが、一瞬一瞬を大切にしたり、わずかでも努力し続けたりすることができれば、今の苦しさややり切れない思いが浄化されるときも必ずやってくる。それは人に対しても同じだ。その人の「流れ」に寄り添うことでしか、本当の姿に触れることはできない。そして、その先にはきっと僕たちの新しいドアが開け放たれるのを待ってくれているはずだ。

 

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●読んだ本「水を縫う」(集英社)
 寺地はるな・著

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