第66回小学校中学年の部 優秀作品

「『しあわせ』はすぐそばに」
 静岡県掛川市立城北小学校 3年 落合美織

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 「あたしって、しあわせ?」

 毎週行く図書館に、この日も行きました。いつも一番はじめに向かう、大すきな本だなの中に、この題名の本を見つけました。「しあわせ」という言葉が気になり、この本を思わず手にとりました。これが、わたしとこの本との出会いでした。

 この本のしゅ人公は、ドゥンネという、わたしと同じくらいの年の女の子です。ドゥンネは、ねむれない時、ひつじを数えるのではなく、「あたしってしあわせ!」と思った時のことを思い出します。わたしは、それはきっと、ドゥンネはこわくてねむれない時、しあわせな気持ちで心をいっぱいにすることで、心が落ち着いて、ぐっすりねむれるんじゃないかなと思いました。

 わたしがこの本で一番気になったのは、白紙のページでした。その白紙のページは、何ども出てきました。とても気になって、少し考えてみました。白紙のページは、ドゥンネの気もちが、つらい時、さみしい時、悲しい時に出てくる気がしました。親友とけんかした時、その親友が引っこすことになった時、だめだと分かっているのに、いやなことをしてしまった時、す直にあやまれない時、赤ちゃんのころにお星様になってしまったママのことを思い出した時。そのすぐ後に、白紙のページが出てきました。わたしは、この白紙のページを見ると、ページをめくる手が止まり、心がぎゅっとなって、考えさせられました。

 ドゥンネは、けんかしたりころんだりして、少しのことでもなみだが止まらない日もありました。わたしも、二月にきゅうに休校になって、大すきな先生やお友だちと会えなくなった時、なみだが出ました。でも、わたしには大すきな家族がずっとそばにいてくれたから、のりこえることができました。

 わたしは、自分がしあわせな時ほど、しあわせに気づかないと思いました。しあわせってなんだろう。わたしはもう一ど考えてみました。毎日、ニュースで悲しいニュースばかりききます。いのちがあったらしあわせなのかな?お金があることはしあわせなのかな?しあわせってなんだろう。考えても考えても、答えは出てきませんでした。ドゥンネには、わたしにはそうぞうができないほどのつらさがあったと思うけれど、それでも、「あたしってしあわせ!」と前向きなドゥンネがすてきだなと思いました。しあわせは人それぞれで、すぐそばにあるのに人とくらべてしまったり、よくばったり、当たり前だと気がつかなかったりします。わたしも毎日、「わたしってしあわせ!」と、ちゃんと感じられるようになりたいです。

 さい後にあった白紙のページだけは、悲しい白紙ではなく、前向きな気持ちでしあわせいっぱいの白紙に感じました。新しいしあわせのはじまりのように、まぶしく光りかがやいて見えました。

 

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●読んだ本「あたしって、しあわせ!」(岩波書店)
 ローセ・ラーゲルクランツ・作 エヴァ・エリクソン・絵 菱木晃子・訳

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